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村山哲也さん|細胞さんインタビュー#02

  • 執筆者の写真: peacecellproject
    peacecellproject
  • 12 分前
  • 読了時間: 9分
(↑カンボジアで。障害者仲間を訪ねたときのお写真)
(↑カンボジアで。障害者仲間を訪ねたときのお写真)

日頃よりピースセルプロジェクト(以下PCP)への温かいご支援、誠にありがとうございます。


PCPでは現在、100人以上の「細胞さん」=サポーターの皆様定期的なご寄付でご支援くださっている方々)から、イラクの未来の平和に向けたご支援をいただいています。

私たちは今、細胞さん一人ひとりが「平和を育てる一員」であることをお伝えしていきたいと考え、「細胞さんインタビュー企画」を行っています。

今回はその一環として、「細胞さん」のお一人である村山哲也さんにお話を伺いました。


プロフィール

村山哲也さん

1964年生まれ、東京出身。

大学卒業後、高校野球の監督を数年務めたのち、20代後半に青年海外協力隊としてケニアに理科教員として派遣。その後も途上国の主に理科教育や教員研修の支援に携わる。

2014年50歳のとき、アフリカのルワンダで仕事中に、乗っていた車が谷に転落し、脊髄損傷、下半身麻痺で車イスの生活に。

ブログ『越境、ひっきりなし』、よそ者と身内、性差、階級、敵味方、援助する側とされる側など、さまざまな「境界線」に直面した村山さんの体験談をまとめた『超えてみようよ! 境界線』などを執筆。



長年にわたり、国際協力の現場で「教育」を始め様々な分野で携わってきた村山哲也さん。村山さんはどんな思いを持って、理科教育や教員研修に取り組んでこられたのか。

そして、PCPと出会ったきっかけや応援してくださっている理由に迫ります。


理科教育向上に携わる意義

ー「どうせなら面白い授業を」

長年、途上国の教育現場、とりわけ理科教育に携わってきた村山さん。理科教育の向上に取り組む中で、村山さんがまず強く意識するようになったのが、後発国における教育の価値観でした。


「経済的に後発国であれば後発国であるほど、教育はサティフィケイト(修了証)を取るための教育になっていくんですね」


村山さんが指摘するのは、「何を学んだか」よりも、「どんな資格を持っているか」によって評価される社会です。

こうした教育観は、実際の教育現場に色濃く表れていたようです。


途上国の教育現場に行けば行くほど、授業を見てて面白くないことが多いですよ。単に暗記もの中心で。試験に通るための勉強で。 先生にみんなで『はいはい』って言って、そういう感じの勉強ね。

学校教育って、貧困から脱した人たちは、子どもたちを一生懸命学校に行かせたいって言うじゃないですか。子どもたちは学校に行くわけですよね。

人生のとても多感な時期に、40分とか50分とか机に座って勉強しなきゃいけない。

(↑カンボジアの小学校の様子。先生の指示があるまでは教科書もノートも机の上に出さないケースが多いそうです。)
(↑カンボジアの小学校の様子。先生の指示があるまでは教科書もノートも机の上に出さないケースが多いそうです。)

そんな様子を見て、村山さんが抱いたのは、


「どうせなら、面白い授業をやってほしいなっていうのが、まずありますよね。

せっかく学校に行っているんだから、黙ってつまんない話を聞いて、ただ覚えろって言われるよりは、面白い授業をやってほしい、というのが僕はありました」


ということでした。

資格のための教育で終わらせるのではなく、子どもたちが「学ぶ時間」を面白いと思えるものにしたい。それが「理科教育」に携わる意義だったといいます。

(村山さん、インタビューでお話している様子)
(村山さん、インタビューでお話している様子)

「面白い授業」とは

― 生徒が息をしている授業

教育現場を見て、どうせなら「面白い授業」をやってほしいと感じた村山さん。

そこで「面白い授業」がどんな授業なのか伺いました。


「やっぱり『わあ』とか『えー』とかね。

 サプライズとか発見反応がある授業」


必ずしも、大きな仕掛けや派手な実験が必要なわけではありません。


本当に役に立つことだよね。

そんなにサプライズじゃなくても、『これ勉強したら役に立つよね』って思えることかな」


村山さんにとって「面白い授業」とは、生徒からの驚きや発見、そして学びが「役に立つ」と感じられる瞬間がある授業でした。

そうした授業では、生徒が息をしているのがわかるといいます。


生徒がね、息してる授業はいい授業だと思います」

「『今日の授業、面白かったな』とか、

 『多くの子どもたちが一生懸命考えていたな』とか、

 『集中してたな』っていうのは、やっぱりあるんですよ」

(↑カンボジアの教員養成学校での一コマ。理科の授業で、教師が演示実験を見せています。学生さんたちの集中ぶりが伝わってきます。)
(↑カンボジアの教員養成学校での一コマ。理科の授業で、教師が演示実験を見せています。学生さんたちの集中ぶりが伝わってきます。)

一方で、「面白い授業」を実施するための工夫を伺うと、そこには先生の教育観や、多くの生徒を目の前にしながら一人一人の生徒と向き合わないといけない難しさがありました。


教育って、答えがなくて、難しい仕事ですよ」

「僕は怪我をして、50歳のときに現場を離れましたけど、

正直、少しほっとしたところがなかったわけじゃない」


村山さんの言葉からは、「答えのない教育」に向き合い続ける難しさが伝わってきました。

(村山さん、インタビューでお話をしている様子)
(村山さん、インタビューでお話をしている様子)

教育支援者であること

ー「 悩みながらやるしかない」


教育という答えのない困難な分野にどうして携わり続けるのか迫ります。


「もう少しシリアスな話をするとね、 自分が信じて、批判精神をきちんと養う教育をやった結果、 そのアウトプットとして、デモの先頭に立って撃たれて死んじゃう、 そういう最悪のストーリーも、想像できなくはないんですよね。」


そう語る村山さんは、教育の可能性だけでなく、その先に起こり得る現実にも目を向けていました。 教育が生む影響の行き先を、支援者が最後まで見届けてコントロールすることはできません。

むしろ、置かれた社会状況によっては、その学びが、命の危険を伴う行動へとつながる可能性もあります。


「それは、関わっている者としては、楽しくないストーリーですよね。

でも、僕らはそこまでをコントロールしきれない。非常に無責任な立場にいるとも言えるわけです。」


教育が生徒の人生にどう影響するのか。それが誰かを救うのか、あるいは苦しめてしまうのか。

そのすべてを事前に見通すことはできません。


「結局それって、単純に言えば無責任ってことだよね。 それを無責任と呼ぶのかどうかは別として、なかなかしんどいことですよ。」


それでも、村山さんは教育に向き合い続けてきました。


「だから支援者であるっていうのは、なかなか重たいことでもありますよね。 でも、誰かがやるからね。 悩みながらやるしかないのかなって。結局、そこに行くしかないんです。」


「支援者」にもまた正解はなく、時に悲しい結末へとつながる可能性すら孕んでいる。それでもなお、その危うさを引き受けながら、問い続け、向き合い続ける。村山さんの言葉には、「支援」に伴う責任と、それを引き受けてなお国際協力に取り組み続ける覚悟が表れていました。

(↑ルワンダで学校を訪問して現場の状況をいろいろ教えてもらっている様子。)
(↑ルワンダで学校を訪問して現場の状況をいろいろ教えてもらっている様子。)

細胞さんになったきっかけ

「応援したいな、と思った」

このように「教育」をはじめとして今まで様々な分野で国際協力に携わってきた村山さん。

村山さんがPCPに出会ったきっかけを伺うと、

「たぶんフェイスブックか何かに流れてきたのを見たんじゃないかな。

あ、髙遠さん。今こういうことやってるんだ、と思って見て。 それで、本当にちょこっとですけど、 『応援したいな』って思ったんだと思います。」


その『応援したいな』という背景には、2004年のイラクでの日本人人質事件の報道を見て抱いていたことがあります。

イラク日本人人質事件報道を通じて

「みんな、それぞれの場所で頑張っている」

村山さんが髙遠を知ったのは2004年のイラク日本人人質事件。

この事件は2003年のイラク戦争以降に、武装勢力によりイラクに入国した髙遠含む日本人3人が誘拐され、人質として拘束された事件です。当時の日本では被害者3名に対し、「身勝手」「自己責任」という非難が集中しました。


村山さんは当時のことを次のように振り返ります。


大変申し訳ないなっていう気がしていたと思います。

髙遠さんたちがああいう風になっていて、ああいう風な批判を浴びて、

それに対して、力になることはほとんど何もできなかったような状況なわけですよね。

それをニュースとして聞いて、『何が自己責任だよ』とか。

僕は自己責任論は反対派だったから、嫌な話だなとか。」


激しいバッシングの渦中にいた髙遠たち3人。村山さんは、自分より少し年下の彼らの姿を見ながら、こんな思いを抱いていたといいます。


「僕よりちょっと若い人たちが、偶然矢面に立ってしまって、なんか大変申し訳ないなと。

彼らの人生がこれで狂わなければいいなとか、思ってたことはすごくあったので。

(PCPを応援しているのは)そういうのもあったかもしれないね、気持ちのどこかにね。」


年月が経ち、再び髙遠の名前を目にしたとき。それは、PCPとしてイラクで活動を続けている姿でした。


「あ、こういうことをやってるんだったら、応援しようかなって、ちょこっと思った。

多分、そういう気持ちがどこかにあったんだと思います。」


人質事件のあとも、現地に関わり続けていること。

ヨルダンから支援を続けていた時期の話や、その後も活動をやめずに続けていることを、記事などで目にしていた村山さん。


大変な思いをしたけど、それをちゃんとその後の人生に生かしている。すごい

な、って思いますよね。」


同じく当時人質となった今井紀明さん(同じく人質事件の被害者)のその後の活動にも触れながら、

 「みんな、それぞれの場所で頑張っているんだな


と感じていたといいます。

(髙遠、イラクにてモバイルライブラリーで絵本の読み聞かせ)
(髙遠、イラクにてモバイルライブラリーで絵本の読み聞かせ)

最後に

ご寄付という形で支えてくださっている細胞さんにインタビューという形で、直接お話を伺えたこと大変嬉しく思います!

村山さん、本当にありがとうございました!

これからもPCPは細胞さんと平和を育てていきたいと思っています。

また今後も細胞さんへのインタビュー企画を進めていきたいと思っておりますので、ぜひお楽しみに!


“戦闘がない“平時”にこそ、戦争に向き合い、対話を促し、紛争予防に力を注がなければならない。”

『対話は困難の極み』(一般社団法人ピースセルプロジェクト代表理事髙遠菜穂子)より


平時の今こそ、未来の平和を築くとき。

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