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イラクの壁、ぶつかるオレ

更新日:10月12日



「アキレス腱〜いち!に!さんっ......え?」


何度も頭で流れをリハーサルし迎えた空手クラス初日、準備運動中に事件は起こった。子どもたちの誰一人膝のアキレス腱伸ばしができない!それどころか伸脚、柔軟運動も難しい。膝の屈伸に至っては壊れたバネが「屈」も「伸」もできず、苦しそうに踊っているようだった。


このクラスには3−6年生の子たちが集まっている。当然準備運動はできるはずだと思い込んでいた。そもそも、当たり前すぎてこれまでやり方なんて考えたこともない...。「左足を前に出して曲げて、右足は伸ばして...。」説明してみるが、とても何かが伸ばされているようには見えない。左足で一歩を踏み出した子どもたちのキラキラした目が僕を見つめている。


頭を抱えそうになった時、「右足は伸ばしたまま左足に体重をかける!」とPCP代表の高遠から助け舟をもらった。それでようやく、アキレス腱ではない、彼らの体のどこかが伸ばされ始めたのがわかった。思わず、2ヶ月で空手のパフォーマンスができるのかな...という考えが頭をよぎる。


今振り返ると、僕の杞憂とは裏腹にあれよあれよという間に子どもたちは成長していき、すぐにそんな思いは吹き飛んでしまうのである。それよりも、文化的・宗教的な側面で問題が待ち構えていることに、後々気づくことになる。


PCPのサマースクールは空手、音楽、お話作りを、PCP学校図書室を最初に設置したパヤム公立小学校の生徒に夏休み期間中を使って教えるプロジェクトである。最終的にサマースクールで受け入れた生徒の総数は78人。目標は2ヶ月で各コースの生徒が友達や親御さんの前でパフォーマンスをすることだった。これらのコースを通して、非認知能力である想像力や共感力、協働の重要性、生徒のコミュニケーション能力を向上させることが目標である。空手はそのうち33人を担当することになった。僕自身、小さい子どもたちに教えた経験はなく、言語も違う子どもたちにどう教えようか、とてもドキドキしていた。


緊張して迎えた初日、準備運動ができなかった子どもたちは、別に運動音痴なわけでも体を動かすことが嫌いなわけでもなかった。ただやったことがなかった、それだけであった。


「足の裏を伸ばして」と言われた時、みなさんはどうやって「足の裏が伸びているか」を判断するか。ピンッと張った少し痛いあの感覚を頼りにするのではないだろうか。ところが、初めて準備運動をする子どもたちに同じことを伝えても「伸ばす」感覚がわからない。そのことに僕は気づかなかった。それでもなんとかしなければと必死に「Strech! Strech!」と叫んでいた。あの時の自分に「想像力の範囲を伸ばせ」と正拳突きをしてやりたい。


子どもたちはさすがで、言語の通じない僕の動きを一生懸命見て、ちょっとした動きも真似してくれた。その甲斐あって、姿勢や体重の位置を説明し何回かやるとすぐにコツを掴んだ。2週間ほどで、元気よく日本語で数を数えながら準備運動ができるようになったのである。「スポンジが水を吸収する」を体現するように、真似し、実際に体験することを通じて子どもたちが新しいことを学んでいくことがとても誇らしかった。


空手の突きや蹴りも、やればやるほど上手になり、1ヶ月を過ぎたあたりからだんだんと形が様になってきた。最初は、腰に手を当てたチアリーダーが空にやんわりガッツポーズをしているようにしか見えなかった突きも、徐々に早く、力強くなっていった。このまま練習すればパフォーマンスは問題ないな、と思い始めていた矢先、別の事件が起こった。生徒間で喧嘩が勃発した。


そもそも、空手クラスを開く上で最も懸念していたことは「空手を使って人を傷つけてはいけないこと」をどう生徒に伝えるかだった。それを生徒にわかってもらうため、クラスの最初で人形を使ったワークショップを行い、叩かれた側の恐怖心や痛みをわかってもらうことから始めた。空手クラスで暴力が起こることは避けたかった。


それでも喧嘩は起こり、二人の生徒は掴み合い、押し合い、叩き合っていた。割って入って理由を聞いてみても、やれどちらが先に蹴ったとか、それはお前が叩いたからだとか、なかなか根っこが見えない。そもそも暴力がいけないのだが、また同じことがおこらないようにするためには根本の原因を調べなければいけない。


辛抱強く話を聞いていると、ふと「キリスト教でないお前は悪いやつだと言われた」と子どもが口にした。


イラクにきてから、PCP代表の高遠に、「イラクはさまざまな民族・宗教の人がいる。表面上は仲が良さそうだが、ふと実態が見える時がある」と言われた。まさに目の前で「その時」がきたことを感じる。それと同時にイラクの歴史が頭をよぎった。フセイン時代のクルド人虐殺、湾岸戦争、イラク戦争後のシーア派とスンニ派の紛争、ISISの出現...。民族・宗教を元にした報復の連鎖に子どもたちを巻き込みたくないと思った。


PCPでは共感力を養うことで紛争に立ち向かおうとしている。「もし僕が、君がキリスト教徒だから空手を教えない、と言ったら君はどう感じる?それと同じだよ。信じるものが違う人がいることをまずは理解して。そしてその間に良いも悪いもないこともわかってほしい。」と言葉を選びながら伝えた。発言した生徒は下を向いてずっと黙っていた。


もっと色々な思いを話したかったのだが、言葉が適切かどうか迷ってしまう。改めて、自分のイラクに関する知識不足、現場感覚の不足を思い知る。結局僕から言葉を伝えただけでその場は終わった。その後、高遠に、「しっかり謝らせなきゃだめよ!言われた方はずっと悩むよ」と言われ、自分こそ共感力が足りないなと落ち込んだ。(次の週、喧嘩した二人を呼び出してお互いに謝らせた)


パフォーマンスデー当日、空手の演舞は大成功だった。元気に突きや蹴り、移動基本、型をやり切った子どもたちは本当に輝いていた。素晴らしい演舞をありがとう!と伝えたい。そして改めて、細かな違いは別として「イラクの子どもだから」とか「日本の子どもは」とかはあまり関係なく、みんな学んで、人とぶつかり合いながら、経験して育っていくことに人種的な違いはないんだなと感じた。


件の喧嘩に関しても同じだと思う。考え方が違う相手を区別し始めるとそれが差別に変わり、差別がヘイトスピーチへ。ヘイトスピーチがヘイトクライムになり暴力による紛争に...。


日本を含むどこの国でも、個人、恋人、家族、職場など、あらゆるところで起こっていることである。「この人とは絶対分かり合えない!」と思うことはしばしばある。そんなとき、暴力に頼らず、相手の背景を理解しようと共感力を寄せ、お互いの溝をコミュニケーションで埋めていくことが大切だと思う。


かくいう私も、40度を超える室内で何度もクーラーが壊れると無性に冷風口付近を叩きたくなる。そんな時こそ、共感力。「君はなんでまた冷たい風が出ないのかな?」「おお、モーターが動かないんだね」「今度はどうした、水が出ない?」「よしよしこれでいいじゃないか」と(心の中で)会話をしていきたい。


この2ヶ月間、子どもたちから熱意やひたむきさだけでなく、イラクの状況を学ばせてもらったと感じる。拙い指導に必死についてきてくれただけでなく、とても貴重な学びをくれた子どもたちにとても感謝している。この2ヶ月伝え続けたことを、この先彼ら・彼女らが友だちと喧嘩しそうになった時、周りの人と意見が食い違った時、誰かを教える立場になった時、ふと思い出してくれたらとても嬉しいなと思う。(了)




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